連載コラム from Germany メガ★お母さんになろう!

~海外で、仕事もプライベートも成功させたいあなたへ~

ドイツで就職活動 ~昔、そして現在~

今回は、私が繰り返し行ってきた「ドイツでの就職活動」についてお話したいと思います。

 語学、経験、知識、すべて自信なし!の私が、どうしてドイツ企業に就職することができたのか、そして、今ひしひしと感じている、子どもを抱えながらの再就職の壁...などなど、読者の皆さまの参考になれば嬉しいです。

初めての就職活動

1998年11月、ドイツに住み始めて5年半が過ぎた頃。私はミュンヘンにあるドイツの通信ソフト開発会社の門を叩いていました。
同年秋、歯科技工士の夫の仕事が急激に少なくなり、家での待機状態が続いたので、経済状態に懸念を抱いた私は、「フルタイムで仕事を見つけてくる」と夫に宣言したのでした。偶然にも、その当事パートをしていた日本貿易振興会(ジェトロミュンヘン)と関わりがあったドイツ企業で、母語が日本語でドイツ語がわかる日本市場担当営業アシスタントを正社員で探しているという情報を同年8月末にキャッチ。

「膳は急げ!」ということで、すぐに履歴書を送って応募しようと思ったのですが、前もって電話をかけて問い合わせることにしました。理由は、この情報をくれたドイツ人の同僚から、「履歴書を郵送するだけじゃだめよ。相手に好印象を与える必要があるから、まずは電話で応募したいことを伝えて、そのポジションがまだ空いてるかどうかも確認しないとね」とアドバイスを受けたからです。私は勇気を振り絞って、そのドイツ企業に電話したのでした、、、。


私 「もしもし、ゲッベルみどりと申します。アレックス・ブルーメ氏はいらっしゃいますか?」

ブルーメ 「僕だけど何?」

私 「私はジェトロミュンヘンに勤めておりまして、御社で母語が日本語の正社員スタッフを募集していることを聞きました。実はそのポジションに興味があります」

ブルーメ 「何年ドイツに住んでるの?」

私 「5年半です」

ブルーメ 「労働ビザは問題ない?」

私  「はい、配偶者がドイツ人ですので問題ありません」

ブルーメ 「仕事の経験はある?」

私 「はい、日本にいた頃、証券会社と船会社で営業をしていました」

ブルーメ 「何歳ですか?」

私 「29歳です」

ブルーメ 「ちょうどいいね~。君、ドイツ語が上手だし、履歴書をすぐに送ってちょうだい。面接日を追って連絡するから」

私 「はい、ありがとうございます!すぐに履歴書を送ります!」

 

私の情報では、ブルーメ氏が、この採用の窓口とのことだったのですが、このブルーメ氏はなんとその会社の社長でした。まさか社長と直接話しをするなんて思ってもみなかったのでびっくり、、、。てっきり人事担当者のことだろうと思っていたからです。

聞きたいことだけを聞いてすぐに電話を切ろうと思ったのに、会話がどんどん弾み20分も話してしまいました。どうやら気に入られたようです。でも、電話終了後、私ののどはカラカラに渇き、受話器を持った手もじっとり汗ばんでいました。なぜなら、初めてドイツ企業に就職の問い合わせをしたからです。

 

ドイツで応募する際の一般的な方法である、この「履歴書を送る前に電話でアピールすること」は好ポイントだと思います。でも、私にとって、この電話でドイツ語を話すことは、本当に恐怖で、勇気を120%出さないとだめなくらい大きな壁でもありました。私のドイツ語レベルに自信が持てなかったのが理由です。そのため、電話をする前に、質問したいことや私が伝えるべきことを箇条書きにし、深呼吸をして、頭の中で、「今、やるんだ!今、やるしかない!」と、自分で自分にハッパをかけ、自分をハイな状態に追い込んでから、応募会社の電話番号のボタンを押しました。

 誰でもそうだと思いますが、海外で現地企業に就職する場合、「語学の達人」であることが必須だと思いますよね~。
でも、私の場合、就職活動をしていたその当時(ドイツに住み始めて5年半)、ドイツ語レベルは初級と中級の間、英語レベルはまったくさびつき、ビジネスでは使い物になるものではなく、語学の達人とは程遠い存在でした。社長は電話で、私のドイツ語を褒めてくれましたが、「ドイツ語も英語もなるべく話したくない」と思うほど、私は自分の語学レベルが恥ずかしく自信はこれっぽっちもありませんでした。

 私が日本でドイツ語を勉強したのはほんの数ヶ月で、主人との結婚が決まってからでした。
その当時、外資系船会社の営業アシスタントの仕事をしていましたので、語学学校NOVAで夜間のドイツ語のコースを取り、ネイティブスピーカーからドイツ語の基礎を習いました。教本に沿って会話を勉強し、どんどんレベルアップしていく自分に酔いしれ、会話は少々できるのでドイツに行ってもばっちりと自信を持って、1993年2月に渡独。

主人の家族と出逢ったとき、私が聞き取れたドイツ語は2つか3つだったように記憶しています、、、。なんとも情けないドイツ生活の幕開けでした。

 ちょっとことでドイツの語学学習について触れますとドイツには国民学校(Volkshochschule。略してVHS)という教育システムがあり、簡単に言えば、地方自治体が運営する大人向けの生涯教育センターのこと

語学コースはもちろん、スポーツ、芸術、料理、裁縫、音楽、文学、政治経済、自然環境等、本当にさまざまな講座が、老若男女国籍問わず、リーズナブルな授業料で提供されています。一回限りのものから毎週数回で数ヶ月連続のものまであり、ドイツ人には人気の高いカルチャーセンターなのです。

 私はまずこのVHSでドイツ語を「Grundstufe3(初級3)」から学びました。
週に3回他の外国人と一緒に勉強したのですが、アジア人は文法は理解しているのに発言がなかなかできず、かと思えば、欧州人は文法はめちゃくちゃでもしゃべるしゃべるで、日本を初めて飛び出した私が生で体験した世界の人たちでした。私はとにかく必死で、ドイツ語を早くマスターしたいと意気込んでいました。でも、理想と現実のギャップが大きすぎてすぐにギブアップ。
来独してすぐに見つかったジェトロミュンヘンのアルバイトを理由にして、VHSのコースは行かない日が多くなっていってしまいました。
それでも一年ほどVHSに通い、初級コースから中級コースに進むための語学試験「TestDaF(Test Deutsch als Fremdsprache)」に2回トライし、筆記試験は合格したのですが、口頭試験の正解率が50%に届かず見事に不合格になってしまいました。

 日本にいた頃、英語の専門学校「天王寺アカデミースクール」に2年通い、英語検定も3回受けたのですが、2級に2回落ち、3級にも1回落ちてしまいました。
筆記試験は合格だったのに、口答試験で不合格になったためです。
私にとって、「語学の達人」という言葉は憧れそのもので、これから語学の資格とは無縁の人生を送ることになるだろうと、TestDaFに落ちたとき予感しました。
そして、ドイツ語や英語をマスターしていなくても働けるところで仕事をしようと心に誓ったのでした。

そうです、私は大学でドイツ語や英語を専攻したわけではないですし、留学経験もありません。そして、語学の資格も一切持っていないことになります。

 そんないきさつもあったので、ドイツ企業への就職は私にとっては本当にありえないことでした。電話をかけたあの日。
なぜだか、チャンスの神様が私の背中をポンと押してくれたのだと思います。

 

話を就職活動に戻しますと、履歴書を送付してから数日後、私は面接の招待をブルーメ氏から直接電話で受けました。

しかし、履歴書を送ってからの一週間、採用されない夢ばかり見るので、不安になり落ち込み、電話を受けたときあろうことか断っていました

建て前の理由は、年末に日本に一時帰国したいので正社員で働き始めるとそれができなくなること。

でも本音の理由は、単に意気地がなかっただけ。未知の世界に飛び込む勇気がなかったのです。でも、次の日、後悔がどっと押し寄せてきて、「面接だけでも受けてみよう」って思い直していました。

面接招待の電話を受けてから3日後にブルーメ氏に電話して謝って面接に行きたいことを伝えると、なんとあっさり、「じゃあ、面接に来てね。待ってるよ!」という返事。はっきり言って拍子抜け。私以外の応募者は3名いるとのことで、でも面接には私だけ呼んでくれると言ってくれました。2週間後、面接に行くことになりました。

 面接日の前夜、ドキドキして落ちる夢ばかり見るので眠れません。
あらかじめ、相手がしてくるであろう質問とそれに対する私の回答を箇条書きにして暗記しました。それでも、目に見えない恐怖感が私を襲い眠れないまま朝を迎えました。

化粧を念入りにして、お気に入りのスーツを着て、会社に着くと、電話で話したブルーメ氏はなんとジーンズにセーターといういでたちでした。「社長なのにスーツを着てないんだ、、、」と思ってびっくりしていると、「自分のことはアレックスと呼んでくれ」と初対面なのに言われこれまたびっくり。今まで日本的スタイルでしか働いたことがなかった私は、社長を名前で呼び捨てにするなんて考えられないことだったからです。
急に名前で呼ぶことはできず、面接の間も、私はずっと「Herr Blume」と呼んでました(この会社はアットホームだったので、同僚も全員duzen(友人同士で使うドゥーの会話)していました)。

 面接にはもう一人の社長も同席していて、すぐに「英語はできるのか?」と尋ねられ、「ドイツ語よりは下手です」と正直に答えました。

「コンピュータは使えるのか?」と尋ねられたときは、「ジェトロミュンヘンでマッキントッシュのコンピュータを使ってました」とスラスラと答えられたのもつかの間、「あなたのAusbildungは何ですか?」と聞かれて、「Ausbildungはありません」と返事をしてしまいました。

「Ausbildung」とは、職人になるための職業訓練のことだと思っていたので、正直に「ありません」と答えたのですが、もう一人の社長は、びっくりした顔で私を見つめてました。
私はこのときの雰囲気で、「確実に面接に落ちた」と思い、すっかり落ち込んでしまいました。その後、ブルーメ氏が私に会社の案内をしてくれ、長い面接が修了しました。結局、2時間くらいは会社にいたと思います。

クタクタになりながら、帰宅して夫に今日の面接の失敗について尋ねてみると、「Ausbildungとは、義務教育卒業後、大学でも専門学校でも職人になるためでもいいけど、何か卒業資格のあるものを学んだかどうかという意味になるんだよ。みどりの場合は、日本で2年間専門学校で英語や商業的なことを学んだと答えればよかったのにね~」と言われびっくり。

しかも、フルタイムの面接では、この「あなたのAusbildungは何ですか?」 は、最重要と言っても過言ではないくらいの質問らしいことがわかり、さらにがっかり...。つまり私は大失敗を犯したわけです。しかし、後悔してももう後の祭り。その日はそのままベッドにゴーでした。

 ところが、次の日、ブルーメ氏から電話で「採用!」という連絡が!
そのときは涙が出るくらい嬉しかったです。ただ、親会社の承認がまだ必要ということで、最終結果は数日待たされることになりました。そして、親会社からの承認も下り、100%採用となったわけです。

通信業界のことも、コンピュータの知識もまったくなく、面接もボロボロだった私が採用された理由は、電話で話した社長ブルーメ氏が私のことを気に入ってくれたことが大きいと思います。面接はお見合いに似ている」と誰かが言った台詞ですが、まさにそのとおりだと実感した瞬間でもありました。
今でもそのときの感動が蘇ってきます。 

ドイツのフルタイムの面接で絶対尋ねられることは、基本的に3つです。

「自己紹介」と「希望給与額」と「一番早い入社予定日」。

この準備は必ずしていったほうがよいでしょう。

私の場合、自己紹介はばっちり!希望の給与額はあらかじめ夫が言った金額を伝え、一番早い入社予定日は11月1日と答えました(ジェトロミュンヘンとの契約で、退職条件が退職日の1ヶ月前に書面で伝えるとなっていたためです)。

それから、面接のときに、会社の案内をしてくれるところは脈ありと思って良いと思います。

また、ドイツ企業は一般的に、語学レベルと職業経験と希望給与額を重視して採用すると思います。
日本の就職活動では、希望給与額が尋ねられることはないと思いますが、ドイツではこの給料の金額は非常に重要で、低すぎる金額を伝えると、「あ~、この応募者は自分に自信がないのだなあ、、、」って思われてしまいますし、高すぎる金額を伝えてしまうと敬遠される可能性が高いです。希望給与額を伝えることは、自分から見た自己評価にもつながるわけです。

そして、一次面接、二次面接と面接が二段階に分かれていることも一般的です。二次面接ではCEO等トップクラスの管理職との面談になります。私が最初に受けた面接は、社長との面接でしたので、最初から二次面接を受けたことになります。でも、私が経験したドイツで最初の就職活動は、少し特殊だったかもしれません。
なぜなら、最初の電話でお互いにインスピレーションを感じる方法は、双方が同じ波長を持っていないと生まれないためです。 

ドイツの履歴書事情と、働くママの厳しい現実

 

振り返ってみると、私の最初の就職活動は、もしかしたら一般的な就職活動から少し外れていたのかもかもしれません。
私が作成した履歴書は、カバーレターなしで、自己データ、学歴、職歴、語学レベル、コンピュータの知識を書いたA4一枚のものでした。

通常は、本人の写真と応募会社の名前がが入った凝ったカバーレターを使い、数枚にわたって自分の優秀さを伝えるべく応募書類を作らなければなりません。もちろん、労働証明書や卒業証明書や学業成績書も必要ですし、あなたをよく知る人からの推薦状もあれば尚ベターです。
すべての書類をしっかりしたフォルダーに入れて送らなければならないので、忍耐がいる仕事になります。

 

次の章で詳しく述べますが、このブルーメ氏は今後私のメンターのような存在になり、私は彼が作った3つの会社で働き続けることになります
2002年8月に第一子を出産し、一年間の育児休暇後、私はブルーメ氏が作った2つめの会社に復帰します。そして、彼が作ったそれぞれの会社で、私は1度ずつ全部で3回解雇を経験することになります(1つめの会社と2つめの会社で解雇されたときは、失業ぜずにそれぞれ社長が作った2つめの会社と3つめの会社にスルーで転職できました)。

しかし、ブルーメ氏との最初の面接から11年後(昨年のことです)、私は失業してしまい、再就職活動をしないといけない立場に追い込まれてしまいました

そうです。また応募書類を作る作業をすることになったのです。昨年の秋から今までに20社ほど応募したのですが、応募書類は簡易式のものにして、カバーレター1枚と3枚綴りの履歴書と労働証明書と卒業証明書と学業成績書を郵送あるいはスキャンして電子メールで送付しました(オンライン応募がほとんどでした)。
好感触があったのはわずかで、ほとんど即不採用。面接に呼ばれたのは一社もありませんでした。2008年に勃発した世界金融危機が残した爪あとはドイツに深く刻まれ、どこもかしこも不況で、外国人で働くママでフルタイムで働けない私は非常に長い道のりで職探しをしなければならないということなのでしょう。 

ところが、今年の1月に、ソーシャルネットワーク「XING」で、「貴社でゲームテスターとして働きたいのですが私に興味がありますか?」と簡単なメッセージを送ったドイツのオンラインゲーム会社から2月に返事があり、「あなたがQAマネジャーとしてやってきたことを教えてください」と尋ねられました

「私がしてきたことは、部下の教育やゲームのリリースに責任を持つこと等いろいろありました」と労働証明書に書かれてあったことをすべてコピペして送ったところ、面接の招待状が届いたのでした。郵送や電子メールで応募せずに、XINGだけで問い合わせしただけでも、面接の招待を受けることがあるということです。履歴書等の応募書類はその日のうちにメールしました。

面接は招待された日の次の日で、私は応募会社のゲームを一夜漬けで勉強して面接に挑まなければなりませんでした。

「QAマネジャー」という管理職のポジションに応募したため、最初の自己紹介の後、具体的な質問になり、

「あなたは会社で新設のQAチームを率いなければなりません。どのようにチームを展開しますか?」、
「現実にその職種で起こりうる問題にはどのようなものがありますか?」、
「QAチームの一日のスケジュールはどのようなものになりますか?」、
「ゲームテスターは何人必要ですか?」
など、

事細かに聞かれ、私は答えるのに四苦八苦してしまいました。でも、すべて正直に私なりのベストアンサーができたと思います。ただ、予期せぬ質問を受けてあわてないためにも、あらかじめ応募した職種に想定される労働状況を自分なりに分析して、面接に聞かれるであろう質問と自分がすべき回答を用意しておくことをオススメします。

最後に

「9個の玉があります。1個だけ重いです。8個は同じ重さです。秤を使って2回だけ測ることができます。1個だけ重い玉を見つけてください」

というロジックテストも一つ与えられ、15分かけて回答しました
(答えは最初に3つずつ秤に乗せて、どの3つが重いのかわかりますよね?そのあと、1つずつ秤に乗せれば、どれが一番重いのかわかるというものです)。

そして、自己紹介の後、すぐに「週30時間までの仕事が可能です。娘が小学生で学童保育所に17時半に迎えに行かないといけませんので、、、」と伝えると、思いっきり難色を示されました

まあ、この時点で、「不合格かもしれない、、、」って思いましたが、、、。結果はやはり「不合格」で、フルタイムで働けないワーキングマザーの厳しさを実感しました。
実際、昨年、再就職活動を開始したときも、ドイツの就職斡旋機関(Arbeitsamt。日本のハローワークみたいなもの)から、「パートタイムの仕事はないと思うよ。企業はフルタイムを探しているからね~」と言われましたし、新聞等の求人広告でも物の見事に、企業はフルタイムで働ける人材ばかりを求めているようです。 

ただ、今回のオンラインゲーム会社の応募は、決して無駄ではなかったと思っています。

それは、私という人間がいて、シニアゲームテスターとして適任であることを応募会社にアピールすることができたためです。
面接時に、「シニアゲームテスターとしても仕事を探しています」とさらっと営業しましたし、「ゲームテスターの仕事とQAマネジャーの仕事のどちらがあなたに向いていると思いますか?」と質問されたときにも、「どちらもです。どちらか一つを選ばないといけないのであれば、ゲームテスターの仕事がより私に向いていると思います」と答えました。 

最初の就職活動の際に、応募会社に電話しなかったら、ドイツ企業で11年の会社員生活のスタートを切ることができなかったし、今回の再就職活動でも、XINGでメッセージを送るときに躊躇していれば、このような展開にはならなかったわけです。

「行動をしなければ何も生まれない」ということです。

英語では、「no try, no success」というイディオムになり、ドイツ語にも、「Wer nicht wagt, der nicht gewinnt.」ということわざがあります。万国共通なんですね~。

 シニアゲームテスターとして応募会社に採用されるかどうかについては現在返事待ちです。

 

 

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コメント一覧

  • 初めまして。
    現在オーストリアからドイツ南部での就職を考えている者です
    日本とこちらでの就職活動のスタイルの違いに戸惑っていたところ、こちらの投稿記事を見つけました。
    オーストリアの大学を出た後就活が思うようにいかず八方ふさがりでこちらでの就職はあきらめようかと考えていたのですが、この記事に勇気づけられました。
    もう少しこちらで頑張ってみることにします
    ありがとうございました

    hakusho2011年7月 1日 02:06

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プロフィール

ゲッべルみどり

ゲッべルみどり

ペンパルで知り合い、遠距離恋愛を続けていた、ドイツ人の夫との結婚を機に1993年に渡独。

ドイツ語を猛特訓しながら、現地で就職活動を行い、最初にアルバイト・パートとして5年間ジェトロに就職。
その後12年間ドイツ企業3社で会社員として勤務。2004年からは、中間管理職として、ドイツ人の上司や同僚、部下と悪戦苦闘しながら働く。

転職、昇進、育児休業、復帰、解雇、失業など、さまざまな経験を経て、2009年に独立。
現在は、フリーランスで、ビジネスコーディネート兼ゲームのテストサービスを行っている。
2歳年上の夫、7歳の長女とミュンヘンにて3人暮らし。

 ・ブログ
中途半端でも大丈夫 ~ドイツで働くワーキングマザーの仕事人生論~ 
みどりさんのゲームチェック!

 ・ビジネスのサイト
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