連載コラム from Germany メガ★お母さんになろう!

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 妊娠と出産を経験しても、キャリアアップを諦めない!


「さあ、今年から、ブルーメ氏が社長を勤める二つの会社(ISDN通信ソフト会社とモバイルゲーム会社)で半日ずつ働いて、いろんなことを吸収しよう!」と気合いを入れて迎えた2002年。

私の人生で忘れられないサプライズが起こりました。

それは、結婚して9年めで授かった赤ちゃん。欲しくてたまらなかった赤ちゃん。
そうです、妊娠したのです。

私は妊娠検査薬を初めて使って調べたのですが、結果が出るまでドキドキでした。99%妊娠が確実ということがわかり、夫と二人で抱きしめあって喜びました。涙があふれるくらい嬉しい気持ちでした。そして、高揚感が一段落して冷静になった頭の中に浮かんだ文字は、「どうやってブルーメー氏に伝えよう、、、」ということでした。

中国人の同僚が私よりも一足早く先輩ママになり、育児休暇も三ヶ月くらいで職場に戻ってきたので、辞めさせられることはないことはわかっていましたが、「ブルーメ氏が私に失望したらどうしよう、、、」、そのことが一番気にかかっていたことだったのです。私にとって仕事をする上で一番大切なことは「信頼」で、一番大きな不安は「失望」だったからです。

でも、産婦人科で妊娠が100%確認されて、産みたい気持ちがどんどん強まってきて、中国人先輩ママのように私も三ヶ月の育児休暇後に復帰したいことを伝えればなんとかなるのではないかと思い、ブルーメ氏に伝えてみました。

ブルーメ氏は拍子抜けするくらいとても喜んでくれて、「すぐに戻ってきてね。待ってるよ」と暖かい言葉をかけてくれました。ドイツ人の同僚からは、「安定期に入るまで待ってから上司に伝えるのが一般的なのに~」と後で怒られたのですが、それくらい赤ちゃんを授かったことが奇跡に近いくらい嬉しかったからなのです。

NTTドコモが、2002年ごろから外国の携帯電話キャリアに対してiモードの技術とライセンスを供与し始めたのを受け、会社では日本のiモード向けアプリゲームメーカーたちとの共同プロジェクトが少しずつ堅実に増えていきました。私もいくつかローカライズやデバッグを手がけ、睡眠時間を削りながらも充実した毎日に手ごたえを感じていました。

そして、思いもよらない出来事を私は経験することになります。それは、2002年4月。親会社が子会社の従業員を即日全員リストラしたのです。家族持ちの社員はお先真っ暗な状態になり、会社の雰囲気は最悪になりました。しかし、私は2001年末に、モバイルゲーム開発会社と労働契約を交わしていましたので、本当にラッキーだったと思います。なぜなら、妊婦が転職探しをしたところでどこも雇ってくれないからです。

私が入社してから、夫も同じ通信ソフト会社に勤めていたので、同様に解雇され行く末が案じられたのですが、ブルーメ氏が親会社からソフトの開発および販売の権利を獲得し、新会社を設立したので、夫は開発者として引き続き働けることになりました。新会社で働ける人員は限られていたので、既に転職していて妊婦だった私は、新会社には採用されず解雇。しかし、9月まで退職金(Abfindung)がもらえたので賢い選択でもありました。

ドイツでは、リストラされた場合、勤務日数に従って、「和解金」という意味で退職金がもらえるシステムになっています。ただし、日本の会社のように、給料の一部積み立てを退職時に一括でもらうようなシステムはドイツにはないので、自主退職の場合、退職金はもらえません。

日々大きくなるお腹を見ながら、仕事もそろそろセーブしないといけないなあって思っていたところでしたので、退職金をもらいながら、家でモバイルゲーム会社のために半日仕事をすれば良いことになり、本当に「願ったり叶ったり」の待遇でした。妊婦にとっては、理想的な職場環境で、このときに私のホームオフィスの基盤ができたように思います。 

ドイツでは、出産前6週間と出産後10週間の合計16週間の産休期間があり、3年まで育児休暇を取る権利があります。ドイツ人のママたちは、通常3年の育児休暇を取ります。それは当然の権利だからなんです。ドイツ人はとにかく、「誰がどんな権利を持っているのか」について高い関心を持ち、彼らが好きなディスカッションのテーマでもあります。

私の周りのドイツ人ママともたちの育児休暇にまつわるエピソードは様々です。保険会社にパートで勤めていたけれど、3年の育児休暇後、夫の稼ぎもいいし、絶対に働かないといけないこともないので仕事に復帰しなかったという人もいれば、二人の子どもの育休明けに復帰しようと思ったら、会社から間接的にリストラを示唆されたという人もいます。

具体的には、会社から転勤か出張の多いポジションに就くことを命令され、小さい子どもを抱えてそんな仕事はもちろんこなせないので、会社と争うことになり、最終的には退職金を受け取り、泣く泣く解雇を受け入れたのでした。
会社は育休前と同じ仕事内容を社員に与える義務はなく、何らかの仕事を与えればいいだけなので、こんな「リストラ劇」のシナリオを書くことができたわけです。

私の場合、「失業したくない」という思いが強かったので、出産後すぐに職場復帰することを考えました。ところが予期せぬことがまたまた起こりました。

それは妊娠7ヶ月後半。ブルーメ氏から追加で仕事をもらう夢を見て目覚めた朝、「夢でよかった~」と思ったのもつかの間、なんと前駆陣痛(Vorzeitige Wehen)が始まっていたのです。日曜日だったし、痛みのある場所から想像して盲腸だと思っていたので、ひたすら家で痛みを我慢しました。

しかし、一日経っても痛みが治まらないので、次の日に産婦人科に行き、病院に行くように勧められ、自力でタクシーに乗り病院に着くと即入院。赤ちゃんが生まれてしまったらどうしよう、、、とすっごく不安になったのですが、子宮口が閉じたままでしたので、娘はお腹の中にとどまってくれました。

このとき、仕事に追われ妊婦であることを忘れていた自分を本当に深く反省しました。仕事に復帰するためには、とにかく上司に自分の存在をアピールしなければならない。
そのことばかり考えていましたので、3つのプロジェクトを手がけ、ユーザーサポートや会社のホームページの更新および翻訳作業も言われるがままに行っていました。自分を完全に見失っていたことになります。

ドイツで仕事をしているとき、「あなたは妊婦だから」と周りが気を使ってくれることはありません。自己管理の国なので、自分の体は自分でコントロールしなければならないのです。

これ以上は無理と思ったら、自分から上司に、「この仕事はできません」と言わなければいけません。何も言わなければ、何も問題がないと思われてしまうのです。

9日間の入院生活は、本当に私の心も体もリラックスさせてくれました。ちょうど日韓で行われていたサッカーのワールドカップ期間だったこともあり、毎日サッカー中継をテレビ観戦しては、本来の自分を取り戻していました。
まさに細胞が生まれ変わるみたいな感覚で、仕事モードがフェードアウトしていき、自分モードにフェードインすることができたのです

退院後思ったことは、生まれてくる子供の成長を少しでも長く見たいということでした。入院する前の私には想像もつかない気持ちでした。退院後、病休扱いにしてそのまま産休と育休に突入することになりました。

2002年8月19日。朝目覚めると破水。予定日よりも約3週間早く長女が誕生しました。前駆陣痛というアクシデントもあり、仕事に突っ走っていたマタニティライフでしたので、赤ちゃんが私にしっかりしがみついてくれいてよかったと、心から娘に感謝しています。

生まれて数日後に、お祝いを持ってきてくれた日本人女性の友人から
「みどりさん、三歳児神話って知ってる?人間にとって三歳までの成長が一番大切っていうことなのよ。三ヶ月の育児休暇なんてもってのほか。みあちゃんのお母さんはあなた一人なのよ。0歳から1歳までの赤ちゃんの成長って、特に一番変化が大きいんだから見守ってあげなさい」
とアドバイスを受け、育児休暇の期間を安易に決めていたことに気がつきました。

ドイツで一般的な3年の育児休暇を取る権利は私にももちろんありましたが、流れが速いモバイル業界に3年後復帰したときに、果たして私は必要とされているのだろうか、、、。そんな大きな不安があったので、3年の育児休暇はありえないとまず思いました。

2年の育児休暇も同じ理由でだめだと思いました。ブレーンストーミングしていくと、たくさんあったクエスチョンが1つずつ消えていき、最終的には2つになりました。

「1年の育児休暇って可能?」

「子どもと仕事、どっちが大事?」

自分の心に問いかけてみました。

私の心の声はこんなことを言ってました。

初めて寝返りを打ったり、初めてはいはいしたり、初めて歯が生えたり、初めて笑ったり、初めて歩いたり、、、、。そんな「娘の初めての瞬間」にできるだけ立ち会いたい!

自分の心が決まったので、育児休暇の延長をブルーメ氏に伝えるときもびっくりするくらい落ち着いて話すことができました。

ブルーメ氏は最初、「そんなに長く育児休暇を取ると思ってなかったのに、、、」と、少しがっかりしたのですが、「良い人を君の休暇代理にしてくれよ~。君を信頼してるから、一年後に戻ってくることを楽しみにしているよ!」と、1年間の育児休暇を承諾してくれました。

彼が少し失望したことは私に一瞬不安をもたらせましたが、1年間娘と一緒にいられるんだ、、という喜びがあふれ、安堵の思いで一杯でした。

このときまた実感したことなのですが、日本人なら、今更言っても...、と遠慮してしまうことでも、ドイツでは、主張しあうこと大事なのだということもわかりました。そして、逆に、休暇を認められたことで、自分のこれまでの仕事に対して自信を持つことができました。

育児休暇中、私は本当に娘との時間を楽しみ、全力投球で育児に取り組むことができました。今振り返ってみると、1年間という育児休暇のタイムリミットがあったので、集中して娘との濃厚な生活を過ごすことができたのだと思います。

1歳になるまでの娘の成長を毎日見つめ、本当に母としての醍醐味を存分に味わいました。初めて「ママ」と呼んでくれた日、初めて歯が生えた日、初めて歩いた日、、、。そうなんです、心から願っていた娘が初めて歩いた瞬間に立ち会うことができたのです。

ここでちょっとしたエピソードがありまして、娘ははいはいしていたのに、「あー」と急に叫んで私が見ていることを確認してから2歩、初めて歩く姿を見せてくれたのでした。
ちょうど夕食の調理をしているときでしたので、娘が叫んでくれなかったら見過ごしていた瞬間だったのです。もしかしたら娘は私に歩くところを見せたいと思ってくれたのかもしれません、、、。

そんな貴重な娘との思い出アルバムを私の脳裏に刻み付けることができた育児休暇でした。

次回は、「パートタイムで働く日本人ママが中間管理職!でもどうやって(後編)?」になります。お楽しみに!

 

 

 

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プロフィール

ゲッべルみどり

ゲッべルみどり

ペンパルで知り合い、遠距離恋愛を続けていた、ドイツ人の夫との結婚を機に1993年に渡独。

ドイツ語を猛特訓しながら、現地で就職活動を行い、最初にアルバイト・パートとして5年間ジェトロに就職。
その後12年間ドイツ企業3社で会社員として勤務。2004年からは、中間管理職として、ドイツ人の上司や同僚、部下と悪戦苦闘しながら働く。

転職、昇進、育児休業、復帰、解雇、失業など、さまざまな経験を経て、2009年に独立。
現在は、フリーランスで、ビジネスコーディネート兼ゲームのテストサービスを行っている。
2歳年上の夫、7歳の長女とミュンヘンにて3人暮らし。

 ・ブログ
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