子育てワールドリポート
世界で活躍するライター&ジャーナリストによるリレーコラム。
出産、医療、エコ育児など、様々な海外情報をお届けします
プロフィール
寺町幸枝/Yukie Liao Teramachi
1977年生まれ。ロサンゼルス在住。ファッション関連会社を経営しながら、ライターやコーディネーターとして活動。
慶應義塾大学大学部政治学科卒。アパレル会社で勤務後、2003年に渡米。ロサンゼルスのFIDMにてマーチャンダイジングを学び、2005年にF.T.C. Funtrap, Incを設立。フィットネスウエアの販売と、自社ブランド、ママと子供服「Sunshine Darlin'」の生産販売を行いつつ、ファッション、ビジネス、そして現在米国の子育て事情についての情報発信を行なっている。
2008年台湾系米国人と国際結婚。2010年4月第一子をロサンゼルスにて出産。
NPO法人united feature press(ufp)メンバー
妊娠への第一歩は、子宮筋腫摘出手術から
2010年4月10日(土)、ロサンゼルスで第一子となる男の子を出産いたしました。私の出産体験は、2年前の2008年3月に、子宮筋腫の摘出手術を体験したところへ遡ります。
米国在住歴も丸4年が過ぎ、すでに4年の付き合いになる現在の夫、Yenと夏に婚約。翌年の秋に結婚を控えたころでした。
日本に一時帰国した生理前の2007年10月、下腹部の痛みがあまりにもひどいので、近くの婦人科を検診したところ、排卵がきちんとされていないようだと指摘され、同時に子宮筋腫があることが分かったのでした。
この痛みが直接筋腫によるものとは言われなかったものの、その後の検査を進めて行く中で、すでに直径9センチ台の筋腫がお腹にあることが分かりました。「このままでは妊娠しづらいあるいはできないかもしれない」と言われ、婚約して半年、かなりのショックでした。
その後色々調べたり、ドクターにさらに詳しい話しを聞いた中で、ドクターの患者の一人で、筋腫がある状態で妊娠したものの、妊娠中のホルモンの関係で、子供と一緒に筋腫も成長してしまい、6ヶ月で早産。
結局脳に障害が残ってしまったケースがあると聞いたとき、私の心はすでに決まり、手術で摘出することにしました。
子宮筋腫自体は珍しいものではありませんが、その治療法については、賛否両論で、私の場合最初に検診を受けたドクターが、若いドクターだったこともあり、彼女は最初から手術をする際の執刀医には別のドクターを紹介する、と言われ、セカンドオピニオンを得る為に、夫の親族の紹介から、ウエストハリウッドにある病院「シーダーズサイナイメディカルセンター」のレジデントとドクターである、ドクター・コニー・チェインに会いにいくこととなりました。
ドクター・コニーは大ベテランの中国系産婦人科医で、セレブというよりエグゼクティブたちからの信頼が厚いことで知られており、色々な話しをする中でこのドクターにお願いしたい、と思うようになりました。
ドクター・コニーの意見も、最初の診断をしてくれたドクターと同じ。
早いうちに摘出してしまったほうがいい、ということでした。
幸いMRIを見た限り、筋腫は1つだけでしたし、悪性ではないという診断で、当時事務所を一人で運営していた私に、「手術を受けるための身辺整理を整えてからで大丈夫」と言ってくれたので、結局4ヶ月後の2008年3月31日、人生初の手術を体験することになりました。
手術、入院、回復まで。米国のスパルタ式で術後2日目から歩き回る
手術当日は早朝6時半に病院へ入り、準備を整えて手術室へ。
麻酔科のドクターが「君は日本人だから、<Sake Bomb(酒ベースの強いアルコール)>を飲んだと思って楽にしていなさい」
と笑いながら声をかけてくれている間に全身麻酔が効き、2時間後、目をさましたらすでにリカバリールーム(術後室)におり、すでに手術が終わったことが分かりました。
しばらくするとドクターが笑顔で私のブラックベリー(携帯電話)を持って来て、「まだ病室が空いていないから、しばらくここにいてね。彼から電話がかかってくると思うから」と言われ、(アメリカは、病院内で携帯電話を使っても問題ないんだ)ということに驚き、手術が無事に終ってまもないのに、携帯電話で仕事のメールをチェックしている自分に気付きました。
その後3泊病院にいる間、とにかく関心したのはナースたちでした。
ドクターは一日1回15分くらいの往診に来るだけでしたので、それ以外は昼と夜の2交代でRN(レジスタードナース)とCN(クリニカルナース)のペアが担当してくれます。
RNは、ドクターから指示されている薬の処方のタイミングや内容、傷の状況を確認するなど、かなり医師に近い仕事を。
CNは血圧や体温を計ったり、身の回りのことを色々て手伝ってくれるナース。
ナースたちがとてもプロらしく、適度な距離で接してくれたことが何よりも心地よかったことを覚えています。
病院での生活は、1日目はとにかく全身の麻酔を流出させることに集中させるため、一切食事なし。水も口元をスポンジで濡らすか、氷を舐めるだけ。これが一番堪えました。
しかし2日目の朝から、流動食開始。さらに昼には立って病院内を歩くように指導され、
「え、もう立つんですか?」という感じでしたが、歩けば歩くほど体は楽になっていくのが分かったので、3日目の午後には、病院のフロアーで20分ほど歩けるようになりました。
その後ドクターからは、退院後毎日30分は家の回りをゆっくり歩くように指導されました。(水を一日4Lくらい飲むことも!)
一方痛み対策については、とにかく「痛みは我慢すべきではない」というスタンスで、モルヒネを点滴に混入させるボタンを、ちょっと痛いかな、というレベルで押すように指導されました。
痛みは我慢するもの、と思っていた私にとってはこのシステムで、ほとんど痛い思いをしなくてすみました。
米国式、というかドクター・コニーの病院食、薬の処方、そして米国スパルタ式の沢山歩くことのコンビネーションのおかげで、4日目の朝予定通り退院し、帰りがけにスーパーへ買い物に出かけるほど回復。
傷の回復はもちろんですが、何よりも精神的にすっかり回復していたことが大きかったと思います。そしてこの3泊の手術/入院体験が、私のはじめての出産を非常に肉体的にも精神的にも「楽」にしてくれたこととなったのです。
次回は、遂に出産本番!です











