子育てワールドリポート

世界で活躍するライター&ジャーナリストによるリレーコラム。
出産、医療、エコ育児など、様々な海外情報をお届けします

アメリカNo.9 スケジュール出産inロサンゼルス(後編)

寺町幸枝

プロフィール

寺町幸枝/Yukie Liao Teramachi

1977年生まれ。ロサンゼルス在住。ファッション関連会社を経営しながら、ライターやコーディネーターとして活動。
慶應義塾大学大学部政治学科卒。アパレル会社で勤務後、2003年に渡米。ロサンゼルスのFIDMにてマーチャンダイジングを学び、2005年にF.T.C. Funtrap, Inc設立。フィットネスウエアの販売と、自社ブランド、ママと子供服「Sunshine Darlin'」の生産販売を行いつつ、ファッション、ビジネス、そして現在米国の子育て事情についての情報発信を行なっている。
2008年台湾系米国人と国際結婚。2010年4月第一子をロサンゼルスにて出産。
Global Pressメンバー

出産」

 

4月10日(土)午前6時。

ウエストハリウッドのシーダーズサイナイメディカルセンターに到着。
  
受付で、出産に来た旨を伝えるや否や、車椅子に乗せられました。病院の規定で、手術や入院予定の患者の移動は、車椅子と決められているのだそうです。

Prep Roomと呼ばれる準備室につくと、ガウンに着替えるように言われました。

その後脈を測ったり、腕には点滴用に針がさされ、着々と準備が進められました。
 
お腹には、赤ちゃんの心拍を確認するベルトが付けられ、いよいよという気分になり、夫も入室しての手術になるので、彼も全身ブルーのガウンを身に着けさせられました。

7時30分。ドクターが待つ手術室へ。

帝王切開なので、ちゃんとした手術室へ運ばれました。

ナースや麻酔科のドクターなど、初めて会う人たちに、自分と子供の命を預けるんだ、と思うとちょっと緊張しつつ、ドクター・コニーがいるというだけで、安心感を取り戻し、早く出てこないかなぁとドキドキ。

 前回手術をした時に、全身麻酔をしていたので、麻酔は余裕!と思っていたのですが、今回の脊椎麻酔は、確かに痛みもあったけれど、それ以上に突然気分が悪くなってびっくりしました。

胃の動きを調整する薬も直前に飲まされていたし、よくあることのようで麻酔科の先生が「はいはい、ここにおえーってしてね」と淡々と助けてくれたので、いわれるままに。麻酔を効かせるために体は斜めにされ、なんとも不思議な体験でした。結局しっかり麻酔は効いて、いよいよ手術が開始されました。


8時7分

7ポンド10オンス(3459g)と、私の大きさに対してかなり大きめの男の子が誕生。


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ドクターが「自然分娩を予定していても、大きすぎて帝王になっていたわね〜」とつぶやくほど育っていました。

そして何よりびっくりしたのが、ふっさふさ髪の毛

真っ黒のつやつやした黒髪で登場した息子は、私が熱心に採っていたPrenatalのビタミン剤のおかげのようで、本当にびっくりするほど、髪の毛とともに生まれました。(そして体毛も)

夫は赤ちゃんが私のお腹からがしっと出てくる瞬間も、カメラの動画録画でちゃんと撮影。後からビデオを見ると、さすがに大きな子といわれるだけあって、一度の引っこ抜きでは登場できず、2度目にぐぐっと引き抜かれていました。すごい勢いで押される感覚があったわけです。
 

産まれた瞬間、夫と2人で2つに絞っていた名前の候補から、夫が「カイシャン(楷翔)」を選択。息子は通称カイとなりました。

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その後お腹がさかさかステェッチされ、1時間くらいでリカバリールームへ移されました。

そのリカバリールームでは、早速携帯電話の使用が許可されていたので、家族や友人に電話をしたり、携帯からブログをアップしたりしながら、部屋が空くのを待ちました。

 

そしてこのリカバリールームにいる間にはじめて授乳を体験。

えっ、もうやるんですか?という感じでしたが、「とりあえずやってみましょう」とナースに言われて、あかちゃんをおっぱいにぱくっと食いつかせてみるものの、もちろん上手にできませんでした(笑)。そしておっぱいも出ている気配なし。しかしとにかく母乳育児最初の第一歩を踏み出しました。
 

その後12時頃に息子は、夫と一緒にナーザリー(新生児室)に行って、はじめてお風呂に入れてもらいました

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夕方遅めの昼食として流動食が出されたものの、あまり食欲はなく、お腹はまだ痛いし、なんとなく頭もぼーっとしていて、でも赤ちゃんはすやすや寝ているのでやることもなく、読書をしてみたり、テレビをみたりとやり過ごしました。

しかし体中いろいろチューブがついているし、でも赤ちゃんがいるしで、何も頭に入らない。出産日はこうして何が起きているか分からない慌ただしさの中で過ぎていきました。
 

初日の夕方から、本格的に始まった授乳のレッスン。ノートをつけなさいと渡されたリストを見ながら、一応3、4時間に一度赤ちゃんを起こしてミルクをあげる生活がはじまりました。

夜7時からのナースの交代で、担当の2人のナースがともに母乳指導の経験者だったことから、あれこれやり方を教えてもらいました。

「初乳:コロストラム」は自分で摘んでもまったく出ている気配はないのですが、赤ちゃんは一生懸命ごくごくやっているので、きっと何か出ているようでとにかく続けていました。

私の病室は、初日から夫の従姉妹家族や、私の親友が赤ちゃんを見に病院を訪れ、何かとバタバタしていましたが、自分が意外に余裕なことに驚くと同時に、ほっとしました。

一晩目は私が全くベッドから動けなかったので、オムツ替えはすべて夫の仕事!結局一晩で、3回か、4回替えることとなりましたが、夫はなかなか手馴れた感じでさかさかオムツを替えてくれました。ナースが私にも夫にもいろいろと教えてくれる育児のいろはを聞きながら、最初の夜は12時前に1回と明け方1回の授乳だけ。とにかくみんなでよく寝て朝を迎えました。
 

2日目。

息子は基本的のとってもよく寝る子で、それほどぎゃぁぎゃぁ泣いたりしないおかげで、授乳とオムツ換えの一連の動き以外はとても静か。(これもその後黄疸の性だということがわかりました)

2日目は午前中に日本から来た母を迎えに行くため、夫が外出。間に友人たちが「お稲荷さん」の差し入れを持って訪問してくれました。

病院食はいまひとつだったので、本当に嬉しい差し入れでした。やはり日本食は最高!その後お赤飯の差し入れや、夫側の親戚からは、台湾では必ず産後に飲むという「薬草一杯のチキンスープ」を差し入れられ、これはその後1週間に渡って、毎日少しずつ飲んでいました

 妊娠中から夜中にトイレに立つため何度も起きる生活に体が慣れていたせいか、夜中もほぼ3時間に一回、息子が目を覚まさずとも起きてします私。

おかげで、夜中にオムツ替えや授乳で起きるの生活にはスムーズに馴れました。2日目から歩き始めた上に、夜中無事に一連のお腹の動きがあって、さらに睡眠のおかげで、3日目の朝、本当に体が軽くなったのに驚きました。人間の回復力の早さには脱帽です!

まだもちろん本調子ではありませんが、ベッドの上り下りがそれほど辛くなくなってました。2日目に日本から駆けつけたものの、病院で時間を持て余していた母から「帝王切開で子供を産んで、こんなにあなたが動けるとは思わなかったわ。」言われるほど私の回復は順調。

ドクター・コニーも、経過良好とお墨付きをくださいました。しかし一方で、息子をちらっと見たドクターから、「今日くらいからそろそろ黄疸が出るかもね」と言われ、「小児科のドクターと相談するけれど、場合によっては予定していた3泊ではなく、4泊したほうがいいかもしれない」と言われました。

そして息子に、はじめて授乳後に「砂糖水」のフォーミュラを飲ませました。一本ぺろっと飲んでしまった息子は、その後すぐに満足して即寝!やはり私のミルクでは足りていなかったみたいです。
 

そうこうして3日目を迎えたとき、予想通りというか息子の黄疸値が上がったのでした。

心なしか顔も黄色い感じ。英語で「Jaundice」と呼ばれる黄疸は、日本では大事ではないのですが、米国では全く黄疸の出ない子も沢山いるようで、やはり特別なケアの対象になります

そのため、3日目の午後から、私の母乳だけでなく、フォーミュラミルクを大量に飲ませられ、さらに新生児室にて「光治療」のために、ボックスに入ることになりました。

その日の担当ナースが、最悪の事態を説明してくれましたが、はっきり言って不安にさせてくれました(笑)といっても、よくあることは分かっていたので、とにかくドクターの指示に沿うことにして、夫と2人赤ちゃんの居ない病室で時間を過ごしました。そして私はとにかく搾乳機を使用して3時間ごとに母乳を絞りだし、新生児室に届けてました。

 結局当初4日目に帰宅を予定していた私も、息子の経過を見る為に1日延泊。しかし息子は4日目を迎えてもまだ黄疸値が思うほど下がらなかったので、もう一泊光治療を受ける為に泊まることに。こうして息子を病院に置いての帰宅となりました。正直ちょっと寂しかったけれど、その一方で少しホッとしていたかもしれません。母が作ってくれた夕食を夫と3人でゆっくり食べ、いよいよ明日からはじまる息子との騒々しい生活を想像したりして、つかの間のんびりした一晩を過ごしました。

 

光治療中IMG_0724.JPG
↑光治療中の息子

そして4月15日、午前中に出生届けを領事館に提出し、その後息子を病院に迎えにいきました。

翌日には早速自宅の近くの小児科の先生に会いにいく予定も入れておいたし、もう準備は万端。はじめてのカーシートに、息子は最初は泣いていましたがすぐに馴れてぼっと外を眺めたりして、自宅まで向かいました。彼の人生の一歩が踏み出されたという感じです。

 ところで、病院に居る間から事前にママ友たちから教えてもらっていた日本人の母乳指導者(ラクテーションコンサルタント)の小川さんに連絡を取っていました。

病院のラクテーションコンサルタントもとてもいい方で、2度も病室で様々な指導をしてくれましたが、日本では当たり前の母乳マッサージはなく、とにかく自力で母乳をだすしかない、といった感じで実は先行きがとても不安でした。

ですので、翌日小児科のドクターに行った後、小川さんのところで改めて指導を受けつつ、桶谷式の母乳マッサージを受けたときの感動!

今ひとつ貫通していなかった感が嘘のように、ミルクがではじめました。1週間必死だったこともあり、母乳と一緒にたくさんの涙も出ました。

でもおかげで気持ちもすっきりし、がんばって母乳育児をやってみようという前向きな気持ちになれました。

日本人のラクテーションコンサルタントが居ること自体、ここロサンゼルスならでは

幸い小川さんのところと自宅が5分の近さのおかげで、その後も母乳に関して心配があると、すぐにマッサージをお願いするといった生活で今も好調に母乳育児を続けており、息子も体重的にも、身長的にもなんの問題もなくすくすく成長しています。

小川さんは米国式の指導法と、日本式の母乳マッサージをミックスした指導法を独自にされているので、米国在住の日本人ママたちから絶大なる信頼を得ていらっしゃいます。事前に沢山のママ友たちから色々なシナリオを聞いておいてよかったな、と思いました。

 こうしてまもなく3ヶ月を迎える息子との生活ですが、2週間目くらいからオムツかぶれがひどくなり、オムツのブランドや種類を換え、ドクターの指示でDesitinというクリームのタイプの塗り薬(それもmax relief)を使用。さらに、お尻付きティッシュではなく、トイレでお尻を水洗いとちょっと大変でした。それも2ヶ月を迎える頃には落ち着きました。

 母乳育児をする中で、私はストイックな食生活をするつもりはさらさらなかったのですが、何しろ息子が以外にお腹が弱いようなので、結局私の食生活は徐々に見直さなくては行けなくなりました。

メキシカンや韓国料理を食べる時はスパイスのできるだけないものを選んだり、肉料理ばかりは控えるようになりました。やはり私が日本食生活をしているほうが、息子のお腹の調子もいいですし、ご機嫌も良いようです。

なお、息子の機嫌が悪いとき、私は「ハワイアン」を聞かせています

どうも妊娠中から私がリラックスしたい時にハワイアンを聴いていたからなのか、クラシックよりも、ハワイアンを聴かせると、すやすや寝てくれることが多いので、iPhoneを利用して、ぐずるとラジオでハワイアンを流すようにしています。

まだまだこれからも育児は続くわけで、新米ママとしては、毎日が驚きと戸惑いの連続ですが、様々な先輩ママたちから情報収集しつつ、色々とチャレンジしていこうと思っているところです。

↑搾取して採れるミルク。このまま乳首を付ければミルクボトルに!

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↑カイ
です!

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